What's "DOCUMENTARY 1981"?

DOCUMENTARY1981とは、1981年に生まれたそれぞれの主人公の生き方を追った、ドキュメンタリー映像作品です。思春期にはアナログからインターネット環境へと急速に時代が変化。社会人の入り口で就職氷河期とリーマンショックを経験して終身雇用は幻想だと悟った。3.11の大震災を30歳で経験したわたしたちが、今、新しい生き方を模索している。
自分らしく生きるとは?どう生きたら、幸せと言えるのか?新しい一歩を踏み出そうとする1981年生まれのリアルな今を、1981年生まれの映像ディレクターが撮影。2015年完成を目指し、撮影中です。撮影の過程もリアルタイムに更新していきます。同時に上映してくれる場所も探し中!

2016/01/02

ドキュメンタリー1981 第3弾 公開! | “余白”が未来をつくる | 独立、初めての家づくり…若き建築家の挑戦を追う | 大村 洋平さん篇


お待たせしました!ドキュメンタリー1981、  第3弾を公開しました。

今回の主人公は、建築家・大村洋平さん。
大村さんは大学卒業後、建築事務所に勤務したのちに30歳という若さで独立。
初めて設計を手がけた住宅が2014年に遂に完成し、業界からも評価を得ました。
(その家の施主も同じく1981年生まれ)

その家づくりの経験から、未来のために家に必要なこと
そして自分と妻・2人の子どもたち家族の生き方にとって大切なことに
改めて気づかされたと言います。

キーワードは”余白”。

働いて働いて働いて。
スケジュールをテトリスのように埋めるような生き方をしてきた20代・独立直後を経て
大村さんの中でどのような変化があったのでしょうか?

ぜひ動画で確かめてみてください。

ドキュメンタリー1981 「”余白”が未来をつくる」(大村 洋平さん篇)

2015/05/31

ドキュメンタリー1981、第2話 | 会社、辞めます。| 河野竜二さん篇 、公開!


同い年の生き方を追うオリジナル動画「ドキュメンタリー1981」。第2弾リリースしました。

主人公は河野竜二さん。
河野さんの2014年は、間違いなく人生のターニングポイントでした。幸運なことにというか、巡り合わせというか、まさにそういう決断のタイミングに撮影させていただくことができました。

会社員だった自分からの脱却。「独立して、勝負に出たい」と退路を絶って挑んだ、地域活性イベント。内容が決まらない、人が集まらない・・・様々な障壁にぶつかりながら、主催者でもある「かまくらの学校」の学長と二人三脚でイベントを作り上げる半年間を追いました。

会社員を辞めて、フリーで生きる。
その第1歩の不確かな、だけど希望と覚悟に溢れた河野さんの生き方が詰まっています。


・Documentary1981 : 会社、辞めます。 | 河野竜二さん 篇
http://documentary1981.housechild.net/movie/kono/
※字幕つきなので音声なしでも楽しめますが、可能であ

2015/05/05

本編 第1弾リリース!「"弁護士"からの船出」篇


お待たせいたしました!
ついにドキュメンタリー1981、本編の第1弾がリリースされました。

最初の主人公は新井玲央奈さん。
新井さんの撮影がスタートしたのは2014年1月。そこから1年で、新井さんの人生は変わりました。撮影を始めた当初は、私も、おそらく新井さん自身も、1年後に事務所を辞めるなんてこと、予想もしていなかったのです。

弁護士という、“立派”な仕事に就いても尚、就いたからこそ突き当たる壁。そこから自分で、自分なりの答えをつかみ取っていく新井さんの様子を、ぜひご覧ください。

・Documentary1981 : 「弁護士」からの船出 | 新井玲央奈さん篇
http://documentary1981.housechild.net/movie/arai/
※動画は上記リンクをクリックし、ご覧いただけます


2015/01/12

主人公たちが、ドキドキの初対面。違う人生を生きる彼らが、共通で持っている想いとは?

2015年を迎えて2回目の週末。
ドキュメンタリー1981の撮影が始まっておよそ1年。
家子(カントク)が発起人になり、ドキュメンタリー1981の主人公たちが初めて集まった新年会が開催されました。撮影は個別に進めているので、実は主人公たちはお互いに顔を合わせることはありません。
お互いに気になる存在でありながら、会うのは初めて。
直前まで大村くんの自宅での撮影を終え会場に向かう道すがら、「ドキドキする」と、珍しく緊張の表情を見せていました。

結果的に、そんな緊張はまったくの杞憂。
乾杯から打ち解けるまでに、まったく時間はかかりませんでした。
一瞬で距離が縮むのは「同い年」の効用。
そして何より、動画を通じて、会ったことはないけれど、自分の人生をもがきながら生きる“同志”という想いが生まれていたのかもしれません。

お互いに自己紹介をしたあと、『気になる同い年』『独立して、ぶっちゃけどうよ?』『ロールモデルっている?』等のトークテーマについて、話に花を咲かせました。

撮影中に、結果的に全員が独立という道を選び歩んでいる主人公たち。
新井くんから「どうしてその一歩を踏み出せたの?」という質問が投げかけられ
「自分にも出来そう、なりたいという人が見つかったから」
「前職でとてもかなわない先輩がいたから、自分なりの勝ち筋を見いだしたかった」
「法人も人格のある人だと思ったときに、個人でやるのも変わらないと思えた」

などなど、それぞれの思いが語られました。
ほかにもまだまだ、語り尽くせない一夜となり。

今回はたまたま、同い年というくくりで集まっただけで、根底には「今の時代を精一杯、自分の納得するように生きたい。そんな仲間と出会いたい」という共通の思いが流れているのだと改めて気づかされ、カントクとしても、忘れられない日となりました。

撮影は個別にまだまだ、進行中。そしてこれから春にむけて、本編の編集に入ります。



2014/12/07

ドキュメンタリー1981 <ダイジェスト版>公開 | 家子のカントク日誌

2014年1月から撮影を進めている、ドキュメンタリー1981。
ダイジェスト版が完成しました。

主人公の5名のみなさんの撮影を通じて、撮影者の家子自身がどれだけ元気づけられたか。仕事でヘロヘロになったときも、この撮影があると、帰り道にはいつも気持ちが高まっていました。それは 「あー、同い年が頑張ってる。自分も立ち止まってる場合じゃない」という気持ち。
どんなに他人でも一瞬で距離が縮む、同い年への特別な気持ち。これって何なんでしょうね。初対面の人に「あっ、同い年ですね!」という時の親近感であったり、活躍している有名人が同い年と知ったときの、少しヤラレタ感。同い年だからこそわき上がる 感情。これはなにも、1981年生まれに限った話ではないと思います。

1970年代後半から1990年代生まれの生き方が、10年後の社会をつくる
今回スポットをあてた1981年生まれは、ジェネレーションY(Y世代)やミレニアル世代とよばれる世代に属しています。その特徴をWikipediaでは下記のように表現されています。

"幼少期からデジタル化された生活に慣れ親しみ、ほとんどの人が日常的にインターネットを使いこなしているため、それまでの世代とは価値観やライフスタイルなどに隔たりがあるとされる。(出典:Wikipedia)"

いま社会の基盤は団塊世代がつくりました。その基盤の上で主導権を握り、権限を持ち第一線で活躍しているのは40代。いまの30代が社会での発言力を増してくる10年後。その10年後はどんな社会になっているのか?そのヒントが、まだまだ発言力は大きくないけど自分たちなりの生き方の正解を模索する今の、この世代の姿にあるのではないかと考えています。

今回、取材をしている5名は、組織に属さず個人で立って仕事をつくっている人たちです。これは撮影者である私自身の興味から選んだもので、当然偏っており、この世代を代表する姿ではありません。 でも主人公たちには「わけもなく惹かれる」ものがある。それは、正解のない中で、それでも自分なりの人生を見つけようと前向きにもがいているからだと思うのです。社会に自分なりの爪痕を残したい。でもうまくいったりいかなかったり。そうやって少しずつ自分の後ろに道が出来ていく姿に、人は励まされるのだと思うのです。

…前置きが長くなりました。
ダイジェスト版、ぜひご覧ください。
本編は、2015年春からweb上で無料公開して参ります。またこちらのサイトでお知らせいたしますね。


スマートフォンの方はこちらをクリック→(ドキュメンタリー1981:ダイジェスト動画

2014/10/14

崖っぷち地域活性プロデューサー河野くんのデビュー戦「鎌倉野菜×地域活性イベント」決まる。これまでにあった辛いこと嬉しいこと | カントクの撮影日誌


同い年の活躍を追いかける、ドキュメンタリー1981。鎌倉で奮闘中の河野くん。今は会社員を辞め、個人事業主として「教育」「地域活性」に関するプロジェクトに参加しています。

ここ最近、頭を悩ませているのは「地域活性」のプロジェクト。
かまくらの学校という取り組みに参加しながら、どうやったら鎌倉や湘南の街に暮らす人と
そこに訪れる人のつながりを深めることができるのか?
とうてい、彼一人では負いきれないんじゃないかと思うほどの大きな課題にがっぷり取り組んでいます。
無謀でしょうか?いえ、がむしゃらです。

東に鎌倉野菜を使ったカレー屋さんをオープンしていると聞けば行って食べてオーナーさんと話し、
西に湘南産の豚を使用したBBQイベントが盛況だと聞けば参加してオーナーさんにアポをとり話し
鎌倉を舞台に活躍する色々な人に会いに行って、時には

「鎌倉はもう盛り上がってるでしょ。余計なことなんじゃないの?」
「どうしてあなたが鎌倉を語るの?そんな資格あるんですか?」

という声も浴びながら
それでも少しずつ、やりたいことを話す中で、一緒にじゃあやってみましょうかと言ってくれる人とのつながりを増やしていっているようです。

そして、「地域活性を語るならまずは自分で場をつくるべきだ」という思いから
10月26日に河野くん主催で、イベントが開催されることが決まりました。

食堂と農家のオーナーに鎌倉野菜と地域活性化について学ぶイベント
~人生いろいろ 野菜もいろいろ 鎌倉・七色畑のお話・食事会&ライブ~

これが、現時点での河野くんなりの「鎌倉と鎌倉を訪れる人のつながりを深めるものとは?」の精一杯の答えなのだと思います。
会場費もすべて自腹。覚悟を決めての、船出です。だからこそ「これなら自分が絶対楽しいと思える」ことにとことんこだわったそう。
さあ。この挑戦、どうなるでしょう。
私も参加して、その行方を見守りたいと思います。

もしご興味があればぜひ、ご気軽にご参加くださいね。

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日時:10月26日(日)  17:00-20:00 
会場:古民家 鎌倉蕾の家(神奈川県鎌倉市長谷2-4-2) 
最寄り駅 江ノ電 由比ヶ浜駅
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2014/08/28

河野くん、会社辞めるってよ。 | 家子 | カントクの撮影途中日誌


夏を挟んで、2ヶ月ほどあいて、久しぶりに河野くんの撮影。その間、河野くんのFacebookからは色々変化があったことは知っていたのですが、本人の口から直接聞いてみたかったのです。

「河野さん、会社辞めたんですか?前は迷っている…と言っていたのですが、そこから決断があっという間でびっくりしました。何があったんですか?」

それからは2時間ちかく、河野くんが決断したこと、それからあった色々なこと、今の気持ち、仕事の仕方などを話してもらいました。
いやー、止まらない止まらない。

最近やっと、自分が実現したいことが定まったといいます。
塾運営や、教育に携わってきた自身のキャリアをこれからは
中高生や若い人たちが、色々な将来の選択肢と出会える場をつくることに活かしたい。かまくらの学校でやっている地域活性も、様々な生き方をする人と人が出会う場につながっていけたら…と。

心なしか、スッキリした顔に見えるのは、先入観からだけではないはず。
だから聞いてみました「どうですか、個人事業主になるって。いまどんな気持ちですか?」

河野くんからは意外な言葉が返ってきました。

「うーん。正直、今は全然分からないです。想像と違ったな、というところもあります。もっと自分のペースでゆったり…と思っていたのですが、今は色んな方にお声がけしていただいて、もう休日なくフル稼働。それこそサーフィンもあまりできてなくて、このあいだ久しぶりに海に入りましたよ。そこで『もっとシンプルでもいいんじゃないか…?』と考えちゃったりね。」

すっきりした、楽しい!という言葉をどこかで期待していた私は少し恥ずかしくなりました。でも、そうですよね。新しい道に踏み出したばかり。混乱も焦りも、迷いもありますよね。それでも、自分でこっちだ、と決めて分からないなりに進んでいく。だから応援したくなるのですよね。

かまくらの学校の海街プロデューサー講座の方は、行きつ戻りつしながら、まずは10月に単発のイベントを成功させることがミッションになっているようです。

「やばいんですよ、もうすぐなんですけどね、決まってないことが多くて…」

がんばれ河野くん!