うんざりするほど、雨ばかり降る。今年の梅雨は手加減を知らない。
屋外で予定していた撮影が1本中止になった。ライターとして参加している仕事だったので、僕個人の役割に関しては大きな影響がなかったけれど、スケジュール上、室内での撮影に切り替えたことが悔やまれる。
そんな仕事がひと段落したころ。ふと思い立ち、実家で週末を過ごした。
長崎県佐世保市。この街の景色が、昔はあまり好きではなかった。
海と山の間にある僅かな隙間にへばり付くように建ち並ぶ家々。産業の柱であった造船所の巨大なクレーンは赤錆びて見える。たまに帰れば、青春時代を過ごした中心地はシャッターの降りた店が目立つ。そのくせ、郊外にあるジャスコの前では、駐車待ちの車で渋滞が起きている。
今月、父は67歳になった。
僕の記憶にある一番若い祖父は、計算してみると今の父くらいの年齢で、あの頃の祖父が外出する用事といえば、敬老会と檀家さん達の集まりくらい。今、父は仲間と登山に出かけ、スキーだキャンプだと繰り出し、昨年行ったニュージーランドに今年も行くぞと、旅行の計画を立てている。
絵に描いたような団塊世代。孫の顔を見てはでれでれとしている、正真正銘“おじいちゃん”なのだけど、本人にはその自覚がないようだ。
僕が仕事用に持ち込んでいたiPadを指差し、「“タブロイド”って言うとやろ?」と自慢げに話しかけてくる。それは新聞だと教える気もおきない。使ってみたいのならと手渡すと、しきりにSiriに話しかけては感心している。
「老人にやらせてみると反応が面白かろうな」とつぶやいていた。
夕食を済ませ、リビングで父は辞書のように分厚いノートを開き、書き物をしている。
「あれは何ていうとやったかな?」「あの人の名前が思い出せん」
時おり、そんな独り言が聞こえてくる。
ぶつぶつとうるさいなと思っていたが、21時を過ぎる頃には、父は寝室に引っ込んだ。
缶ビール片手にW杯の試合結果を伝えるニュースをぼんやり眺めていた僕は、ふとテーブルに置かれたままになっているノートの黒い合皮の装丁に視線を落とした。
「2007-2016」と印字されている。
恐らく、還暦を節目につけはじめた10年日記なのだろう。思えば、生前の祖父も几帳面に自分の手帳に日々の出来事を綴る人だった。自分が参加する訳でもないに、僕たち孫の入学式や卒業式の予定を聞いては書きとめていた。だから、“おじいちゃん”になった父が、祖父と同じことをしているのが、珍妙で、恐ろしくて、嬉しかった。
きっと、生真面目で、頑固で、融通の効かない字面が、業務報告のような言葉を紡いでいるのだろう。そんな味も素っ気もない日記をいつの日か読んでみたい。1冊なんかで終わらず、2冊3冊と綴られることを願う。
東京に戻る飛行機。機内誌に目を通す。写真家の本城直季さんによる連載「ニッポン新風景」。今月号は偶然にも「佐世保造船所」。大嫌いだったはずの赤錆びたクレーンと造船ドックは、本城さんお得意のミニチュア風な撮影方法もあってか、色鮮やかで活気を帯びている。
見開き全体に敷かれた写真を上から下まで舐めるように見るあいだ、この場所から自分の何万倍もの鉄の塊を世界中の海に送り出してきた男達の人生を想った。
父の職業人としての40年間も、船とともにあった。
#William Onyeabor - Fantastic Man
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